走シンドローム

栃木×マラソン・ランニングの情報発信│1児の凡才パパランナーの走った記録、日常、思ったことなど

要・不急のランニングについて考える

2月、東京マラソンの通常開催中止が決まった頃。僕は何となくこの事態を楽観視していました。4月も中旬になる今、事態はその時よりも遥かに悪くなっていて、マラソン大会が普通に開催されるのはいつになるのかわからないし、そんなことすら言っていられない状況になってきました。
そんな情勢ですが、ずっとランナーであり続けてきた僕にとってランニングは「不要」と捨てきれないものです。今、どうやってランニングに向き合っていくべきなのか、自分の頭を整理するためにまとめていきたいと思います。
※全て個人の見解です。

 

感染リスクと政府方針の意味を考える

①不要不急の外出を控える
②三密を避ける

緊急事態宣言が発令され、ますますこの2つのフレーズを耳にすることが多くなってきました。ただ、この混乱する情勢において、①と②の意図が整理されずに論争になっているケースが多いと感じています。

・感染(する・させる)リスクがあるのは「三密」という状況。
・その「②三密(=感染)を避ける」ために「①不要不要の外出を控える」必要がある。

という理解を僕はしています。

極論ですがこんな状況はどうでしょうか。

日本のどこか田舎の集落に老夫婦が住んでいました。半径10㎞に民家はない。ただ「①不要不急の外出を控える」ために、日課にしている早朝ふたりでの4㎞くらいのウォーキングを自粛しました。

日課にしている4㎞のウォーキングは「不要不急」に思えます。①だけを正直に守って自粛したことは正しいように思えますが、半径10㎞に民家がない場所において早朝に4㎞のウォーキングをしても、実は②は守られています。②を避けるための方針として①があるとすれば、②が100%守られるのであれば①を必ずしも守る必要はないのではないかと思っています。
それどころか、仮にこの事態が1年続くとすれば、こんなことも起こりえます。

日課にしていたウォーキングを自粛して「①不要不急の外出を控え」続けた老夫婦は、急激に体力が衰え、健康を害してしまいました。

あくまで極論ではありますが・・・。

ただし、こういう話はすごく難しくて、個々にその判断を委ねてしまうと事態は取り返しのつかないことになると思います。だからこそ、「①不要不急の外出を控える」ということを強調しているのです。①が守られていれば少なくとも②=感染のリスクはないですからね。

視点を変えます。「①不要・不急の外出を控える」=「要・急の外出は認める」と言えます。
当たり前ですが最低限の買い物をしないと生きていけませんね。「ネットで頼めばいいじゃん」とも思いますが、物流業者が外出します。あの老夫婦も、1週間に一度くらい20㎞離れた市街地に行くのか、誰かが配達してくれていたのかもしれません。
ライフラインに直結する職業の人も「要・急」の外出が必要です。

前談が長くなりましたが、僕たち「市民ランナー」はどうしたらよいのか、というのが最初のテーマでした。ランニングと①、②の関係を見ていきたいと思います。

ランニングは「不要・不急」なのか

「①不要不急の外出を控える」
ランニングは短期的に見たら不要不急だと思います。今日絶対走らないとダメ!という場面はなかなかありません。買い物は今日しないと食料がないとか、そういう話です。
老夫婦の例で見ていきましょう(ランニングとウォーキングを同一と捉えます)。確かに短期的に見たら不要不急ですが、長期的に見たら「要」なんですよね。1ヶ月も家に引きこもっていたら、体力面で本当に違う支障が出てきてしまうと思います。
僕たち若い?世代は、そこまでの影響はないので、これは「不要」なように思います

視点を変えます。そもそもランニングとは何なのか。たぶん「心身の健康」というのが端的な表し方だと思います。
「身」で言うと、老夫婦の件が最もわかりやすくて、若い年代でもずーーっと家にいるよりはたまに運動をした方が健康にいいと思います。
「心」で言うと、それをすることによって気持ちが晴れる、心が豊かになることだと思います。それは、速い人も遅い人も市民ランナーであれば同じです。速い人は記録を更新することや大会で順位を狙うことが生きがいであり、遅い人でも走る行為自体、大会を完走すること自体に喜びを見いだしているケースがあるかと思います。
「身」だけで言うなら家の中でできる運動を、という話になるかと思いますが、「心」は外で走ること自体が必要なので、どうしてもランニング自体が必要になります。こんな情勢だからという言葉で片づけるのは簡単ですが、それが生きがいだった人にとっては結構きついと思います。「心」の健康のためにランニングは必要だと思います。「要・不急」です。
ランニング以外にも「要・不急」は多くあります。これら「要・不急」は絶対に今日しなければならない!というわけではありませんが、1ヵ月やらない、その先もいつできるかわからない、という状態が続くと心の健康に良くないと思っています。

「②三密を避ける」
「要・急」の外出であれば三密でも仕方ない、ただし感染予防を最大限に実施することが前提となります。もしくは、「極力」三密を避けながら事を完了させることになるかと思います。
では、心の健康のためにランニングを始めとする「要・不急」の件はどうしたら良いのでしょうか?これは「②三密を避ける」が答えだと思います。逆に、三密を避けられない「要・不急」は我慢するしかないと思います。
ランニングで言うと、三密を避けられないのは「マラソン大会」です。これは我慢するしかありません。つらいですが。我慢しましょう。
では、三密を避けられるランニングがあるのか、というのが最終的なところになります。

ランニングの実施方針

まず、同居人以外と集団で走らない。ランニングだからといって、人と集まって走っていたら意味がないのだと思います。
では、同居人と、もしくはひとりで「公園を」走ることは?これが一番難しいところです。公園と一口にいってもいろいろですね。公園ではなく、「ある程度人がいる」ところ、としましょうか。すれ違いで感染するリスクは限りなく低いようですが、100%感染リスクがないとは言えません。マスクして買い物に出るのと、公園で走ってすれ違い、では、どっちのがリスクが高いんだろう?前者は「要・急」なので比べること自体がナンセンスではあるのですが。
無難なのは「人とすれ違わないように走る」ですよね。リスクがほぼゼロになりますもんね(手洗いうがいをするのは大前提として)。
さて、ここまで書いておいて煮え切らない締め方になりますが、ランニングのポイントは以下かと思います。

・同居人以外と一緒に走らない
・極力人とすれ違わない

まとめ 

・「三密を避ける=感染リスクを減らす」ために「不要不急」の外出を控えるべき。
・ランニングは心身の健康に必要なものであり、長期的に見ると「要不急」の外出である。
・三密を避けられない「要不急」は控えるべきで、マラソン大会はそれにあたる。
・三密を避けるランニングは、同居人以外と走らない、極力人とすれ違わない。

いつ終わりが見えるかわからないつらい状況ではありますが、心身の健康を維持していくためにもランニングはやはり必要だと僕は思います。ただし、これは僕の価値観であって、ランニングは「不要不急」だと捉える人が大半だとも思います。個々によって趣味や価値観は大きく違う中で、絶対に避けなければならないこと、健康維持のために感染(する・させる)リスクをなくした上で実施できること、を、自分の頭で考えて今後も行動していきたいと思います。