走シンドローム

栃木×マラソン・ランニングの情報発信│1児の凡才パパランナーの走った記録、日常、思ったことなど

30㎞の絶壁!初フルマラソン(2013年板橋Cityマラソン)

僕の初フルマラソンは「2013板橋Cityマラソン」でした。まさかこの選択が後の仕事にも影響するとは思わず、大学4年生の秋、初めてのフルマラソンエントリー・混雑画面を不思議に見つめながらファミチキを食べていた記憶があります。
大学生のうちにフルマラソンを」という意味合いでこの3月、ちょうど引っ越し先になる東京で開催されるこのマラソンにエントリーしました。2学年下の仲の良い後半も一緒にエントリー、マネージャーの後輩も引き連れ、当日はレースというより未知への挑戦というわくわく感で、3人で会場を訪れました。

前談として。板橋Cityマラソンは3月24日でしたが、東京に引っ越してきたのは3月23日でした。家の契約は2月下旬ごろから始まっていて荷物の運び入れは終わっており、4月1日の入社式1週間前に本格的に生活の拠点を東京に移し、翌日フルマラソンを走り、1週間寝て過ごす、というのが僕のプランでした(笑)。

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スタート前、荷物はマネージャーに預け、陸連登録の部にしていなかったため後方ブロックになってしまった後輩とも別れ、スタートラインの後方に並びます。こんなに人が集まるレースには参加したことがなく、スタートしてもなかなか思うように走り出せない慣れない状況にも苦労しながら、スタートラインを通過したのは58秒後。その後も1㎞~2㎞は少しずつ人を抜きながら、あまりスピードを出して走れていなかったと思います。

もう7年も前の記憶になるし、当時の記憶としては「ただのまっすぐな道」だったので(笑)、覚えていることはかなり少ないですが、とりあえずはイメージとして「サブスリー」「キロ4分」というのがありました。
大学生でスピードがしっかりあった当時の僕にとって、キロ4分というのはかなり余裕のあるペースでした。そのため、最初の5㎞こそ混雑でペースは遅かったですが、その後キロ4分ちょっとで走っていると、周りも同じくらいのペースの人が多くなってきたようで流れに身を任せる形でリラックスしてただ淡々と走り続けることができました。

05㎞:21分58秒
10㎞:20分21秒(42分19秒)
15㎞:20分26秒(1時間02分45秒)
20㎞:20分20秒(1時間23分05秒)

そういえば後輩は後ろからスタートしたのでした。後輩と言えど、スピードは僕よりはるかにあって、フルマラソンだとどっちが速いのかな?という話をしており、いつ追いつかれるのか、追いつかれたら今なら体力気力余裕あるので一緒に走りたいな、と思っていました。むしろ、淡々と走ることに飽きてきて、速く追いつかれたいとすら思っていました(笑)。
河川敷をひたすら21㎞下って、折り返し21㎞上るというコースです。折り返しに近づいてきたところで、土手の上をランナーが逆方向に走っているのが見えました。速いランナーたちです。折り返しが近づくにつれてその人数も多くなり、もしかしたら後輩にもう抜かれているのか?と思いながら土手上を見ながら走っていました。正直この時にはかなり余裕があって、キロ4分ならいつまでだって走り続けられるんじゃないかと思っていました。まだ先は長いので油断はしていませんでしたが、フルマラソンが全くの未知だった走る前に比べると、このくらいの余裕度でハーフを迎えることができて少しほっとしていました。

結局そのまま折り返し地点を迎え、今度は自分が折り返しを走ることになりました。しばらく後輩を探していたのですが見つけることができず、諦めてまた淡々と走ることにしました。

25㎞:20分33秒(1時間43分38秒)
30km:21分11秒(2時間04分49秒)

ハーフ時点であったかなりの余裕度を感じることができていたのは確か25㎞くらいまで。~30kmあたりで身体が重くなってきました。実際タイムも微妙に落ちているのですが、30㎞ではキツいながら「残り12㎞を55分で走れればサブスリー。今までのキロ4分ちょっとのペースから4分30秒くらいまでは落としても大丈夫」と計算できていて、気持ち的には余裕がありました。

そして、30㎞を過ぎたところ、確かここら辺でトイレに立ち寄りました。トイレに行きたい気持ちは少し前からあって、ただ、できる限り歩を進めてから行こうと思っていたのでした。この時には「トイレに寄ることで一区切りして、ラスト10㎞ちょい頑張ろう!」くらいの気持ちだったのですが、トイレから出て走り始めた時に身体の異変に気付きました。それまでは止まることなくずっと走り続けてきたのですが、一度止まってしまったが故に身体が一気に動かなくなってしまったのです。サブスリーを目指す気満々でいたのでトイレに立ち寄ったのはほんの1分くらい。ただし、立ち寄った時間は関係ありませんでした。
「止まった」ことがそもそもいけなかったのです。
その後、急速に落ちていくペースに必死に抵抗しながら走り続けます。35㎞前後で確か後輩に抜かれたのですが、その時の後輩が速かったのではなく僕が落ちに落ちていました。25㎞あたりで感じていたキツさとは度合いの違うキツさが全身を襲ってきます。それでも粘って歩を進めていきます。

35㎞:25分16秒(2時間30分05秒)

そして迎えた35㎞でタイムを見て衝撃を受けました。「こんなに必死に走っているのにキロ5分以上かかっている…この必死な走りを続けていってもサブスリーできないのか…」と。この時に完全に身体だけでなく心が折れてしまいました。そこからは人生で味わったことのないような苦痛と戦う7㎞になります。キロ7分~8分。普段ならダウンジョグでもこんなに遅くならないようなペースです。残りたったの7㎞が永遠に終わらないかのように思えました。
初フルの後も何度かマラソンを走って撃沈したり、ウルトラマラソンでそれ以上の距離を走ったりはしましたが、後にも先にもこの初フルよりきつい経験はいまだありません。

40㎞:40分38秒(3時間10分53秒)

周囲に自分より遅いランナーはいません。キロ5分くらいでは周囲は走っているので、歩く速さに近くなっている僕は一瞬で追い抜かれていきます。何度かリタイアが頭をよぎりました。こんなにきつかったのにリタイアしなかったのは、初フルをリタイアで終わらせたくなかったからだと思います。
40㎞を過ぎてラスト2㎞になってもペースは上がるどころかどんどん落ちていきます。身体も段々冷えてきました。僕は走っているのに、歩いている人に追い抜かれます(笑)。これ以上速く走れないのです。ただ、走ることを止めてしまったら進めなくなってしまうのではないかと思い、「走るような行為」はひたすら続けました

最後の橋をくぐり、両側にタワーが立ち、ラスト100mに差し掛かります。「やった、もう少しだ」気を緩め、少し速く走ろうとした瞬間に脚がぴくっとなり立ち止まります。ラスト100mのところでまさか一旦立ち止まることになるとは思いもしませんでした。沿道で応援している皆さんも「一番遅く走っている」僕を応援しているように感じます。そして、フィニッシュ。そこに歓喜はなく、ただただたどり着いたという安心感だけでした。

finish:3時間34分09秒
※ラスト2.195㎞:23分16秒
※ネット:3時間33分11秒
※前半ハーフ:1時間27分30秒
※後半ハーフ:2時間6分39秒

フィニッシュした後、もう歩く気力も体力もありませんでしたが、立ち止まっていても邪魔になってしまうのでよろよろと歩き、何とか100mほど歩き、芝生に座り込みました。計測タグを外し、荷物を持ってきてくれたマネージャーと後輩くん(3時間一桁でフィニッシュ)の元に這いずります(笑)。
本当に精魂尽き果てたとはこのことで、しばらくその場から動けなかったし、少し経ってからも歩くことすらままならず、1歩1歩身体を引きずりながら帰路に着きました。夜ごはんを3人で食べる予定だったのですが、それまでの時間一人暮らしの住居に帰ってひたすら横になっていました。気力も筋肉も内蔵もすべての組織がダウンしているような感じでした。

 

こんな形で、僕の初フルマラソンは一生忘れられないものとなりました。ラスト7㎞のあの景色、辛さは特にいい思い出で、その時は最悪でしたが今振り返ってみるとあの経験はして良かったかな、と思っています。
それ以降、2020年4月時点ではフルマラソンを6回完走していますが、2014年富士山マラソンで唯一のサブスリーを達成した以外は全て3時間20分以上かかっています。そもそも6回しかまだ走っていないので、今後長い人生でもっとたくさん挑戦していきたいです。この板橋Cityマラソンを超える苦痛はきっとないと思うので…(笑) 

05㎞:21分58秒
10㎞:20分21秒(42分19秒)
15㎞:20分26秒(1時間02分45秒)
20㎞:20分20秒(1時間23分05秒)
25㎞:20分33秒(1時間43分38秒)
30km:21分11秒(2時間04分49秒)
35㎞:25分16秒(2時間30分05秒)
40㎞:40分38秒(3時間10分53秒)
finish:3時間34分09秒
※ラスト2.195㎞:23分16秒
※ネット:3時間33分11秒
※前半ハーフ:1時間27分30秒
※後半ハーフ:2時間6分39秒

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